とらのこ on the road

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ちょっとしたLife Hack Blog

母が突発性難聴を発症して3ヶ月。緊急入院、治療、その後。

こんにちは!めぎーです。

気がつけば2019年、早いものですね!

 

実は2018年の10月中ば、私の母が急性突発性難聴を発症しました。

 

最悪なことに、症状はかなりの重度。

お医者さんにも、治療をしても完治は期待しないでくださいと言われました。

 

少し時間は経ってしまいましたが、いろいろと気持ちの整理もついてきたので、

当時のことを記事に書きとめておきたいと思います。

 

 

 

突発性難聴の発症。はじまりは突然に。

 

ある日私が仕事から帰宅すると、テーブルの上に見なれない薬がおいてありました。

病院から処方されたものでした。

 

「どうしたの?」と私が聞くと、

「お母さん、耳が聞こえないらしい」と答える父。

 

一瞬、背筋が凍るような感覚に襲われるわたし。

実は、昔わたしは突発性難聴をわずらったことがあって、

その時のことを思い出してしまったからです。

(幸いにもわたしのケースは軽度だったので、少しの後遺症が残っている程度で済んでいます。)

 

母によると、朝から聞こえなくて仕事を早退して病院に行ったけれど、

症状が重かったため明日大きな病院に検査をしにいくとのことでした。

 

発症時はめまいはなく、耳に聞こえだけ。右耳が全く聞こえない状態でした。

 

「大丈夫、きっと回復するよ」

 

と、自分の経験もあったため、根拠のない不安を取り除くための言葉をかけました。

今考えると、そうあってほしいという祈りに近いものだったのかもしれません。

 

容態の急変。

 

病院の予約時間に合わせて起床。

母の様子を見に行ってみる。

 

明らかに様子がおかしい母。

目も開けられず、起き上がることすらできないほどの激しいめまいが母を襲っていました。

 

トイレまで介助するのもやっと、という状態でした。

これはまずい、本当にまずい・・・

焦りをどうにか抑えなければと必死になっていました。

 

飲んだ薬ももどしてしまう。早く病院に連れて行かなきゃ。

でも、体を動かすだけでめまいが母を襲う。

救急車を呼んだ方がいいのかもしれない、どうしよう。

 

いろんな考えがぐるぐるしながらも、予定していた病院へ車で連れていくことに。

今まで運転した中で、一番慎重に運転した時間だったのを覚えています。

 

病院へ到着後に車椅子に乗りかえ耳鼻科へ向かい、診察の時間を待ちました。

母の状態を気づかいながら、静かな緊張した時間が過ぎていきました。

 

想像を超える重症度、緊急入院の宣告。

 

聴力の検査をし、先生に症状と発症した時、今朝の急変について先生に伝えると、

すぐに重度の突発性難聴と判断されました。

4段階のランクのうち、一番最悪の状態。

 

「緊急入院が必要なので、すぐに手続きをしてください」

 

一瞬、頭の中が真っ白になるのを感じました。

 

さらにそのあと、

「症状がかなりの重度なので治療をしても回復は期待しないでください」

と、希望のろうそくの火に息を吹きかけるような言葉を伝えられました。

 

母が点滴をするあいだに、入院手続きをすることに。

正直なところ、なんとなく自分にこんな日が来るのはもう少し先のことなんじゃないかと思っていました。

 

自分の考えや展望がいかに不確かで脆いものか、現実を突きつけられた瞬間。

命に関わる病気ではないのはわかっているけど、

回復しなかったらどうしようとネガティブな考えばかりが涙と一緒に浮かんできました。

 

もっとこうしておけばよかった、ああしておけば・・・

 

身体を壊しても謝る。仕事ってなんなんだろう。

 

突発性難聴の原因はよく解明されていないのが現状だそうです。

未だにミステリアスな病気なようだけど、ストレスが関係しているともいわれています。

 

母はケアマネージャーとして働いていて、

日々の業務や人間関係についてのストレスをよく口にしていました。

 

それだけが原因とは思わないけれど、きっと無関係では決してないのでしょう。

 

他の方にカバーしてもらわなければならない業務がたくさんあるとのことで、

職場の上司へわたしが連絡をすることに。

 

緊急入院の件、症状の説明、カバーしてもらいたい案件についてなどを話すと、

 

「大変な状況なのは理解してますが、お母様のされているお仕事は多額のお金が関わっていることです。私たちの事業収入に影響しますので、以下の件をご本人に確認を取っていただけますか?」

 

声のトーンに優しさはあったものの、電話を切ったあとでなんだか考えてしまった。

 

病気になって、今後の生活がどうなっていくのかという時にも、

身体を壊してすみません、迷惑をかけてすみませんと謝らなければならないのか。

 

仕事ってなんなんだろう。

 

そんなことを考えてしまった。

 

1週間の入院が終わり、退院後の生活

 

1週間の入院中に、少しずつめまいは軽減してなんとか歩けるようになりました。

 

聴力は残念ながら大きな変化はなく、退院後の薬での治療で様子を見ることに。

 

自分の力で歩けるようにはなったものの、ゆっくりあまり頭を動かさないようにする必要がありました。

階段はしばらくは使えないし、もちろん自転車も車の運転もできません。

 

母はもともとアクティブに動きたい人だったので、家にいることがストレスにならないかが気がかりでした。

 

そして、その不安は的中し始めます。

最初はのんびりとした生活を少し満喫しているようにも見えたけど、

よくならない聴力とまだ残るめまい、どこにも自分で出かけられないという状況にストレスと感じ始めていました。

 

突発性難聴をわずらった場合、3ヶ月でその後の聴力は固定されてしまうらしいです。

3ヶ月以内に回復しなければ、低下した聴力で生活をしなければならないのです。

 

母の中に焦りがあったのだとおもいます。

父にあたるようなこともしばしば目にするようになりました。

 

治療中は薬だけじゃなく、鍼治療にも通い始めます。

効果があったのかははっきりは分からないけど、少しだけ聴力が上がったと検査結果が示していたのが救いでした。

 

もうすぐで治療開始から3ヶ月。現状。

 

あと数日で発症から3ヶ月が経ちます。

 

現状、聴力は若干回復したものの、聞こえはかなり悪いです。

聞き間違えや聞こえないなどはしょっちゅう。

(これはわたしの声の音量がいつも省エネモードだからというのもありますが・・・)

 

後ろから話しかけても聞こえないし、並んで歩く時はわたしが左側をキープして歩かなければいけません。

自転車と車の運転はいまだにしていません。

 

お散歩があたらしい趣味になったようで、東洋医学にも少し興味を持ち始めたようです。

 

聴力が固定してしまったあと、

どうやってその生活と向き合っていかなきゃいけないか、というのが今後の課題。

 

一緒に生活する家族もしっかり理解しなきゃな・・・と毎日反省をしています。

話しかけてうまくコミュニケーションがいかなかった時に、ついイライラしてしまったりするんです。

 

大きな声で話しかける、という簡単なことすらできない自分がいつも情けなくなり、

サポートする側がしっかりしなきゃなとおもうことばかり。

 

Quality of Life (クオリティ オブ ライフ)

 

母が倒れてから考えるようになったのがQuality of Lifeという言葉です。

 

聴力が戻らなくても、母の人生が終わるわけではありません。

その聴力で日常生活を送っていかなければならないのです。

 

できることの範囲は圧倒的にせまくなってしまうかもしれません。

でも新たに自分にできること、やりたいことを発見し、新たな人生のステージとしてまだ続く生活をできる限り楽しんでもらいたいです。

 

そのためにどんなことができるか、できる限り彼女の心によりそって生きます。

 

2019年の一つのテーマにもなりそうです。

 

ではまた!!